優しさが呪いになるなんて、分かるわけないじゃないか。
急遽これ話したくなったから差し替え。
元々あげる予定だったものはまたいつか。
体調悪くなる話してると思う。ご注意を。
よく。優しいと言われる。
そんな事ない。
自分が嫌いだ。誰にも愛されない自分が。
でも、他人に愛されないのは前も話した通り、他人の幸せを踏み潰して生きてきたからだ。
自分さえよければ、そうやって生きてきた人間が、その罪を認めて生まれ変わったとしても犯した罪は消えてなくなることは無いし自分が踏みつけてきた過去の他人の幸せが、他人の面影が「お前なんか幸せになるな」と指をさしてくる。
でも、自分はとても自分勝手だから。幸せになるなと指さして睨んでくる人をその目を、その視線。その感情を。ぐちゃぐちゃに掻き消して見ないふりをするんだ。
ここ最近、不幸というものに蹲ることが無くなった。
自分の感じる幸せが心の中に溢れていたから。
その幸せが正しいものかどうかわからない。またきっと、他人の幸せを踏み潰して叶えている幸せかもしれない。それでも今の自分は不幸に蹲る事も、幸せを光として触れることも何もかも自分を苦しめる鎖のように感じる。
門番はやっぱり少し恨めしそうな顔をしていたけど、私はその顔を見ないふりをして、無理やり手を握った。妙な冷たい心苦しい感覚は、自分が勝手に拾い上げた幸せと混ざって、薄汚い色に変わっていった。
そもそも、幸せなんて存在しないはずのものを身勝手に存在するものとしてしがみついているのはそうでもしないと自分が自分を保てなくなるような気がするから。
不幸というものに蹲ることがずっと前まで心地の良い光のようだったのに今となっては自分を新たに苦しめるそんなもののように感じてしまって自分はどう生きるのを正解とするべきなのかそれすらも分からないような感覚だった。
人間は等しく同じ時間が流れる。その中で普通は成長して新しく生まれ変わっていくはずなのに自分はどうしてこうもその場で足踏みを続けてしまうんだろう。
人に優しくすること、それは人として生まれてきたからにはずっとついてまわる宿命のようなもののように感じている。別に義務でもなければやらなければいけない事でもない。人に優しくすることはひっくるめて善意であって強要するものでは無いはずなのに自分にとっては人に優しくすることはしなければならない事だし、そうでなければいけないことのように感じる。
でも、人に優しくすることは少しずつ自分を追い詰めるという行為に変わりは無い。
真綿で首を絞められるようなその感覚に近い。
優しくされた人は、その優しさが継続すると思い込む。今日こうやって優しくされたから、きっと次同じことが起きたら同じように優しくされる。そう思い込む人が多い、それは変わることなく自分もそうだからだ。でもその考えが自分のことを追い込んで人一倍苦しくさせる。
数少ない友達に「優しすぎる」という話をされる。過去を自分勝手に生きてきた自分が優しすぎると思われているなんて。周りの言葉を人一倍気にして心を苦しめていることが優しいということになるんだろうか。自分はわがままをそこまで酷く言うタイプでもない。自分のことをあまりにも蔑ろにしていると思う。でもそれは自分についてまわる罪を償う行為に過ぎなくて、この考えが頭に張り付いている限り誰かがそれを取り払うことなんて出来ない。
わがままを言うことが罪とは思わないけど、自分はわがままを言うべきではないとは思う。
友達のこれがしたい、これをして欲しい、ここに行きたい、これに付き合って欲しい、これがいい。全部にいいよ。という事。難しそうでそうでも無い。でもその度に、自分も同じようなことを言ってもいいのかなと思う。
いつだって自分が人に頼む時は「嫌じゃなければ」という気持ちがついてまわる。自分は大丈夫だから、わがままなんて言わなくたって大丈夫。そう思っている。
その度に自分は他人と違うんだとじわじわ苦しくなる。
自分は誰かに優先させる存在ではないから、いつだって後回しにされるし、私との約束なんて守らなくても許される。だってそうしたって怒らないから。いいよって許してくれから。でもその度にじゃあ次はいつ、私のことを優先してくれる?と言葉を出しそうになる。でもそんなことを言えば「めんどくさい」って思われるかもしれない。そんな事を思われてるとわかってしまったらそれだけで自分の心は死んでしまうから。自分をひとりにしないで欲しいから。だから喉元まで出た言葉をグッと飲み込む。
出てくるはずだった言葉は行く先を失って空虚の中に消える。何度自分は気持ちと言葉を押し殺して潰してきたんだろう。その度に心が、心臓がグルグルと音を立てて苦しくなる。息が止まるような、針で刺されるようなそんな辛さが自分を追い詰めていく。いつだって、辛いこと嫌なことがあったら泣いて叫んで居なくなりたい。
でもそれはできない事だから全部飲み込む。でも結局飲み込んでいるだけだからキャパオーバーを起こせばその気持ちは暴走するし、細切れにして吐き出していたらそうはならないのにそれが出来ないから他人に迷惑をかけながら爆発する。
でもその爆発も瞬間的なもので一瞬で消える。他人の目を見て他人の醸し出す雰囲気を感じて、他人の見えるわけもない纏っている感情に当てられて。頭がパニックを起こす。
間違えた間違えた間違えた。
1度吹き出したものを無かったことには出来なくて、自分はどうしたらいいのか分からなくなる。その瞬間が世界でいちばん辛い。
ReLITの47都道府県ツアーのセミファイナル、京都の日。1番感情を抑えなきゃないけなかった日。自分は感情を抑えることが出来なかった。
友達とちょっとした事で揉めてしまって一部の撮影可能が終わってすぐ友達が出て行って、自分も自分を抑える事ができなくて外に出た。これが我慢ができなかった人間が溢れた感情を抑えられなくなった瞬間だった。ボロボロと溢れる涙は止まらないし、出て行ってしまった事、戻った方がいいと言われても頑なにその場から動こうとしなかった事。全てが全て悪循環で最悪の結果だった。いつものように爆発した感情はすぐに火を消して次に襲いかかるのは相手がどんな風に自分のことを見ているのかだった。怖かった。それが1番。嫌われても仕方ないことだと思った。
そして冷静になった時、自分はやっぱり優先されるべき人間ではなかったのだと。大切になんかされないんだと喉元まで出かかった。
「楽しみにしてたのは自分だけだったのか」「なんで優先して貰えないのか」腹の奥からゾワゾワと湧き上がる感情をどうにかして喉元で抑えて飲み込む。胸がジクジクと痛くなってまた涙が止まらなかった。
そして何より、凱旋でセミファイナルできっと何よりも自分が優先して楽しまなければいけない空間が壁一枚隔てて向こう側にあること、壁越しに聞こえるライブの音がさらに自分を追い込んだ。
自分こそ、優先するべきことを優先出来ていないじゃないか。そんな人間が誰かに優先されるべきではないに決まっているでは無いか。そう言って門番ではない違う誰かが自分の事を指さして責める。その度に自分はごめんなさいと頭を下げることしか出来なかった。
でもそれと同時に「まだ吐いてないから。まだ自分は我慢できるんだ」って思った。まだ我慢出来る、まだ優しくできる。まだ優先されない存在でもやって行けるって思った。
それがいい判断なのか、間違っているかなんて自分には分からないけど今の自分に出来ることはその判断をすることだけだった。
京都の日結局自分はずっと苦しいまんまで、でも今日という日は1日しかないから無理やり忘れようとした。でも今でもトラウマみたいに心に刺さって抜けない。
壁一枚隔てた向こうで聞こえるライブの声。それだけがあの時間自分を崩れ落ちないように立たせるたった一つの唯一の光のようなものだった。
自分勝手な暴走で友達にも、その場にいた他のオタクにも不快な思いをさせてしまった。後悔だけで生きていくべきだと思う。
改めて自分は優先される存在ではなくそれでいて不幸の中で生きるべきなんだと思った。
門番が居座っている扉は今まで開いたことがない。いや。開こうと思ったことがなかった。でもこの1年。少しだけ幸せという目に見えない本当にあるのか分からないその存在を手の中に入れた時、幸せになることを恐れる門番が守っている扉の向こうは、今よりもずっと幸せな何かなのではないかと思った。
ぷんちゃんや青野さんと会っている時、門番は2人の太陽と月のような光に当てられて少しだけ姿を消す。
重くて冷たくて苦しい扉に触れる度、この扉を開けることができた時自分は自分の幸せをもっと願うことが出来るんじゃないかといつも扉を押し開けようとする。その度に心を潰されるような苦しい思いが流れ込んで後ろに飛び退くしかない。幸せになることは辛いことなんだろうか。それは今よりももっと?
辛かった。どうしてそうならなければならないのだと思った。自分の幸せは自分の不幸の元でしか成り立たないものなのだろうかと思った。
それでもやっぱりこの1年。ぷんちゃんや青野さんのおかげでいい意味で変われたような気がする。
門番のことを見つめることが出来たし、言葉以上の何かを持つことが出来たような気がする。
いつか弱音を簡単に吐くことが出来たら。
いつか爆発も暴走もすることがなければ。
門番の守る扉の向こうを見ることが出来たら。
きっと、自分は幸せになれるんだと思った。
自分勝手に2人のくれる幸せに手を伸ばして、届くはずないと分かっていながら。それでもいい、自分が幸せを願うことを許して欲しい。幸せになることを、幸せになりたいと思っていいと思わせて欲しい。それだけが今縋るたった一つの蜘蛛の糸だから。
貴方が約束してくれたそれは、呪いなのかもしれない。
10/14に合ったことに対してのアンサーブログみたいなもの。
その日に何も言葉を出せなかったから。
また書き上げるのに1ヶ月以上もかかってしまった。悔しすぎる。
例にも漏れず今回のブログも結構暗めなので気を付けて下さい。
2024.11.25 追記
自分は。とてもじゃないけど、強い人間ではなくてすぐに消えたいと思ってしまうような弱くて、それでいてずるい人間だと思う。
1つ前のブログ。あげたことを後悔している部分と、身勝手に自分のことを話、周りに押付けて満足した気持ちのふたつの気持ちがあった。結局、自分は身勝手なんだ。やっぱりそうやってじゃないと生きていけないんだと思った。
あのブログをあげる話を青野さんにもしていた。火曜日のDDステーションの特典会の時だ。
「前にさ〜門番の話したじゃんそのブログ書いてるの〜」
相変わらずそれに対する返事を覚えていない。多分これも怖かったんだと思う。身勝手な自分の言葉だから。
ループして戻る頃にはブログも書き終わっていて、誤字とかがないかの読み返しをしていた。自分で書いたブログなのに内容が重くて暗くて辛くて体調が悪くなった。
その時の青野さんの会話で唯一覚えていたのが
「それがええんやないの」って事だけ。こんなわがまま言うのはよくないのは分かってたけど私は「完成したら見せるね!」と言った。
DDステーションの日の私はいつもよりわがままで、いつもより青野さんに質問してた気がする。青野さんは私の質問にちょっと考えながら、でもそれでいてふわふわと笑いながら答えてくれた。青野さんを少し知れた気がして嬉しかった。青野さんのことはたくさん知りたいのに、自分のことはいつまでも教えない。自分勝手だなぁと思った。
DDステーションが終わったあとブログをどうするかの処遇だけ考えていた。今のままでも自分は十分だと思ったけど、青野さんがもしかしたら冗談とかお世辞とかでもなく本当に読んでくれるのなら。いつも押し潰す緩やかな期待がグングンと湧き上がって、2000文字程度追記をした。もうこの時点で当初書いたものとは別物になった気がする。完成したのは金曜日で丸1日かけて青野さんに送るのか送らないのか考えて馬鹿みたいな朝にブログを送った。
その日1日ずっと緊張してブログのインプレッションを覗いて、数字が増える度に震えるほど不安になった。
どうして土曜日に送ったのか理由は、次会う時に見られてなくても傷つかないようにだった。私はわがままだから、見て欲しかったし感想が欲しかった。でもそれを無理強いしてはいけないしそれでいて、薄暗い部分を、内側の柔らかい部分を全部さらけ出してしまうから。その部分に触られるのがとっても怖かったんだと思う。生誕の時にお手紙を初めて書いて、カフェ出勤の時に「読んだよ」って言われた時同じ感覚だった。柔らかい薄暗い部分に触られた気がして少しだけ苦しかった。自分で手紙を書いた癖に。本当に最悪で自分勝手だ。
自分の中の誤算は、そういえばTikTok撮影会の参加券2枚も持ってた。と言うことだ。青野さんと直接話して、何も無かったと安心する前に青野さんと会わなきゃいけなかった。14日という日はいつも以上に青野さんと会うことに緊張していた。
無事?にTikTok撮影会を終えてお昼を食べながら漠然と、ブログを読んだかどうか聞くのはそれこそ負担になってしまうから自分からブログの話をするのは絶対にやめよう。という考えが浮かんだ。別に今日読まれてない方がいいから土曜の撮影会前に送ったんだ。そうだそうしよう。今日はとりあえず1枚で様子を見て、撮影会に行けばいいんだ。そう思って手売りの時間に会場に戻った。
まとめて2枚買えることなんて知らなかったから7000円しか用意してなくて1枚ループしたくないのになぁと思いながら、チケットを買って列に並んだ。でもこの選択が地味に正解だったことにこの後気付かされる。
早い時間から列に並んでたからだいぶ早い段階で青野さんとお話することが出来た。いつもみたいにふわふわ笑いながら私の名前を呼んだ。私も言葉を返すといつもの決まりみたいにお互いにワンテンポ置いてから喋り出す。自分は、自分から話をするのが苦手だからいつも話出しは向こうにおまかせすることが多い。その日もそのつもりだった。そうしたら青野さんがほんとうに、ほんとうに世界でいちばん優しい顔で笑って「ブログ読んだよ」と話し出した。
一瞬で周りの空気が冷えて、呼吸が止まった。心臓がありえないくらいバクバクと音を立てて鳴り続けて頭の中では警報音が鳴る。咄嗟に逃げないといけないとそう思った。言葉にならない声が喉に張り付いて気持ち悪かった。何も準備のできていない自分はどうしようもなく焦って。心では逃げたかったのに、緊張して棒のようになった足では逃げることなんて出来なくて、振り絞るように「心の準備ができてないから。次もう1回来るからその時にして」と青野さんが続けようとした言葉を止めた。
とてもわがままだと思ったけど、心の準備ができてないまま青野さんからその話を聞いたら立ってられないし、泣いてしまうと思ったから。
2枚まとめて買ってなくてよかったとその時思った。読んで欲しい、感想が欲しいなんて強欲なことを考えていたのに、いざ目の前にするとこんな風になってしまうなんて、自分がいかに弱くて自分勝手なのかをまざまざと見せつけられた気がした。
その後の会話もほとんど身が入ってなくて、ずっと心臓が痛かった。青野さんから机を乗り越える話をされたりおすすめの曲は聞いた〜?って話をしたりしたけど次に待ち受けてるブログの話が怖くて怖くて仕方なかった。
本当は1回トイレに逃げたかったし、できることなら行くって言ったけど帰りたかった。とても泣きたかった。自分が薄暗くて卑怯で、弱くて、いつも見せてる明るい自分が嘘の自分だとバレてしまった気がして。そんな自分が最低な人間だと知られてしまったと思ったから。何度も言うけど自分が見せることを決めたのに、とても自分勝手だ。
でも青野さんともう1回行くって約束したから、嘘をつきたくなかったから。終わって直ぐに手売りチケット買い足して列に並んだ。
ゆっくりと自分の順番が近づくにつれて立っているのがやっとになった。足が小さく震えだして、呼吸が浅くなる。チケットを持つ手が小さく震えてどうしようもなくなっていく。追い詰められていく感覚になった。
次が自分の番になった時目に見えて手が震えてしまった。こんな姿なんか見られたくないからチケットを持っていない方の手で震える手を押さえ込んだ。焦って浅くなる呼吸はできるだけ大きく吸い込んで落ち着かせる。
目の前の人が居なくなっていざ自分の番。やっぱり青野さんは、世界でいちばん優しい顔で笑っていた。震えていた手が止まって呼吸も随分と楽になった。魔法みたいだと思った。
今でも。あの時のことを思い出すと胸がいっぱいになって涙が出る。青野さんが選んでくれた言葉も不安になって見上げた時優しく笑ってくれた顔も全部全部鮮明に覚えているんだ。いつも不安がってモヤがかかって覚えていないのに。
このブログで私が青野さんから受け取った言葉を事細かに、鮮明に書くことは無いし他の媒体でもみんなに見せるように書くことは無い。
あの日くれた言葉は全部私の宝物で、そして私が少しだけ前を向こうと思えたそんなきっかけだから。
1つ前の時、私は前を向くのが怖いと言った。門番みたいな自分が怖い顔で睨んでくるから。でもあの日、あの日だけは少し前を見て歩けたんだ。
前を見て歩いた時、目に入った門番みたいな自分は酷く辛そうな顔をしていた。悲しそうな顔をしていた。
ごめんね。私だけ幸せになって。ごめんね。あなたを置いていこうとして。ごめんね。あなたを絶対に不幸にはしないから。
だからもう少しだけもう少しだけ。青野さんがくれた優しい光の中で歩かせて欲しいと思った。
青野さんは私にとある約束をしてくれた。私が門番を抱きしめることが出来るまで、私が幸せな光の中で蹲ることができるまで。ずっとずっとアイドルとして幸せに生きてくれると。
私にとってその言葉がこれから歩く道を示す道標のように感じた。
それは、いつになるか分からない。自分は自分を許せないし、早く消えてしまえばいいという思いはずっと消えはしないし不幸という薄暗い場所は今も心地いいから。
それと同時に私が幸せになるまで、アイドルとして幸せに生きるという言葉が、青野さんを縛る大きな鎖になってしまわないか、そんな風に思った。
幸せという言葉は、その言葉の明るさは時に全てを奪ってしまう縛ってしまうと思うことがある。
そして言葉は、【呪い】のようなものだとも思っている。まじないも、のろいも。同じ字を書いてそっくりな見た目をしている。でも中身を開けてみると全く違う言葉のように見える。
でも、どちらにせよ縛り付けるものなのだと思う。自分が語る幸せという言葉は【まじない】なのかそれとも【のろい】なのか。
それは私から【呪い】という言葉を受け取って中身を切り開いた本人にしか分からない。
最近。こうやって思ったことを文字に書き起こすことを楽しいと思っている。これもひとえに青野さんから文章能力を褒められたことに繋がってくるのかもしれない。
5年前くらいは毎日のように物書きをしてはあーでもない。こーでもないって頭を抱えて、本を作るって決めて小さな作品の締切に間に合わずモンスターとレッドブルを混ぜた魔改造眠気覚ましを飲みながら毎日徹夜をしていたことを思い出す。
もうあんなことする体力なんて残ってないし、二度とできないことだと思っている。
でも最近また、何か物書きがしたいなって言う漠然とした気持ちが湧き上がってきて青野さんに結末の大筋を決めてもらって、1作、作品を書き始めている。
この物語がどう結末するかは分からないけどやっぱり何かを作り出す、という事は楽しい。
昔書いた物を読み返してわかる。昔からハッピーエンドは好きじゃないんだなと。どうしても道の途中に不幸が落ちているし、結末も手放しにハッピーエンドとは言えない。
いままで描いた物語全部拾っても自分みたいでとてもじゃないけど嫌になってくる。
さっきした「呪い」という言葉の話をもう少しだけしてもいいだろうか。
厳密に言うと「呪い」という言葉の話と言うよりも、言葉という物が持つ鎖のような物の話と言ってもいいのかもしれない。
自分を含めた人間は、言葉という大きな力に勝つことができないと言う気持ちを持っている。
言葉というものは時に雄弁で、素晴らしいものだと思うと同時に、卑怯でそれでいて薄暗いものだと思っている。
人を幸せにするのも言葉の力だと思うし、人を不幸にするのも言葉の力だと思っている。そう。言葉にはそんな力があると思っている。
それは等しく自分に降り注いで、自分を苦しめてきた。自分の行動と努力が、他人の評価する結果と同じになることは絶対にないと思っている。
どれだけ頑張っても、他人に頑張っていないといわれてしまったら、他人に評価されなかったらそれは頑張っていないと同じ事になるんだ。
頑張るということは一種の自己満足と言ってもいいのではないのだろうか。どれだけ頑張っても、他人にはその頑張りは見えはしないし結果でしかそれを証明できない。
ここでも、自分が他人の言葉に縛られていることがよくわかる。
昔からずっと「頑張れ」という言葉に縛られて生きているような気がする。
だって頑張って生きていないと、すぐに死にたくなってしまうから。
自分の死にたいは、ずっと生きていることの隣にいる。自分の手を握ってくる。欲を持っていきたいと思えば思うだけどんどんと死にたくなる。
今すぐにでも消えてしまいたいと、そう思うようになる。
「頑張れ」と言われるたびに、自分は「頑張って」なくて「頑張れて」なくてどうしようもない人間なんだとそういう風に思ってしまう。
「頑張れ」という言葉は「呪い」だ。自分のことを縛り付けて蝕む。そんな言葉だと思う。
他人がなんのけなしに言うそんな言葉に対して、自分は大きな拒否反応を起こしてしまう。
人を勇気づける言葉のはずなのに、その言葉は自分を追い込んでいくんだ。
「死なないでほしい」なんて言わないでほしい。もっともっと死にたくなってしまうから。
「生きてほしい」なんて言わないでほしい。自分はその期待に応えることができず苦しくなってしまうから。
お願いだから自分に何も望まないでほしい。自分はそれに答えることができないから。
こうやって、他人の言葉をすべて押しのけて自分の気持ちだけ押し付ける。自分は最低な人間だし。そうやってじゃないと人間として生きてなんていけない。
自分は人生の主人公になることはできない。ヒロインにも二番手にすらなることができない。
誰かの、どこかの村で生き続けるNPCにしかなれない。顔もない、同じ言葉しかしゃべれないモブにしかなることができないのだ。
自分が誰かにとって、優先されることはないし特別にだってなれない。自分もそれを望まない。望まないというか最初から特別になることはできないんだと諦めてしまっているのかもしれない。
だって自分の幸せが、誰かの不幸の上に成り立つものなのだとしたら、こんなにも苦しいことはないからだ。
今を生きる自分の人生こそ、主人公だろと言われたらそうなのかもしれないけど、もしもその物語の主人公が自分なのだとしたらその物語はあまりに不幸だ。バットエンドだ。
どんな分岐を選んだとしても、その物語の結末は不幸でしかないんだ。
自分は嫌にわがままだから、自分に優しくしてほしいけど優しくしてほしくない。
自分を大事に思ってほしいけど、大事にしてほしくない。
自分を特別に思ってほしいけど、特別だなんて思わなくていいと思っている。
自分の気持ちはいつだって正反対に向かって生きている。
自分のわがままな気持ちと、素直な気持ちはいつだって反発しあって、自分自身を苦しめているんだ。
自分は酷い人間だから、優しくされて心の内側の柔らかい部分を見せられると、それを踏みつぶしてもなお、自分に優しくしてくれるのだろうかと試したくなってしまう。
そうして踏みつぶしてきて、離れていく人間を恨めしそうな目で見てしまう。全部全部自分が悪いのに。
そんな酷い、最悪な過去の自分は今の自分にとって切っても切り離せない存在になっている。そんな最低なことをしたくないから、全部全部内側にしまい込むけど、時々そんな酷い顔をした自分が酷いことを言いそうになる。その度に口を噤んで小さく縮こまるんだ。最悪な顔をした過去の自分と、醜く自分を睨んでくる未来の自分に、今の自分は挟まれているんだ。
今の自分は、どんな自分なんだろうと時々思ってしまう。そうやって考えた時に今の自分は噓の自分でしかない気がする。仮面を被らずに自分として話したことはあるだろうか。
嘘の鎧で身を固めた状態ではないそんな自分で歩けているだろうか。そう考えた時にいかに自分はちっぽけで虚無で虚空な寂しい人間なんだと実感する。
嫌われることが怖くて、1人になるのは怖くて、でも自分の思った気持ちに嘘をつきたくなくて。あなたたちに伝える「大好き」という言葉を希薄にしたくなくて。
でも自分はそれに対してどうしたらいいのかわからない。
嫌われたくなくてした行動が、いつの間にか相手を傷つけてしまっている。
自分に優しくしてくれたことに付け込んで、自分だけ気持ちよくなる。
そんなの間違っているのに、やめることができないんだ。そうやって自分の過ちに気付いて自分自身を嫌いになっていく。
自分のことを好きだと思っている人に、なんで。どうして。自分のことが好きなんだろうと聞きたくなる時がある。
だってきっと聞かないとみんな教えてなんかくれないから。でも自分は弱虫だからそれを聞くのすら怖い。
だってその人が話す自分の好きな部分が、嘘で固められた自分のようで自分じゃない自分だったら。もうそれは自分ではない別の人が好きなんじゃないかと思ってしまうから。
傷ついてしまうから。そうやって傷つきたくないから自分はすべての物事に背中を向けているんだ。自分は自分を1番に守りたいから。
こんなことを書いているし思っているけど、自分はやっぱり愛されたいんだと思う。満たされたいんだと思う。
ずっと、ずっと空っぽだったから。虚無で虚空で何もない自分だったから。
だから今の、ぷんちゃんと青野さんに愛されているこの時間と空間が愛おしいんだと思う。大切なんだと思う。これ以上にない宝物なんだと思う。
でもすぐに不安になるから、これは愛されているのだろうかと不安になる。そんな不安になること自体間違っているのに。
今は「呪い」のように大丈夫という言葉を繰り返している。大丈夫大丈夫。不安になる必要なんてないんだと。
きっとこの先もずっと言いたい言葉は喉に張り付いてしまって時折こうやってブログにしないと心の中に溜まって自分がダメになってしまうような気がする。
最後に。
これを受け取ったあなたにとって言葉って何だろう。自分を縛り蝕む「のろい」?それとも自分を支えて導く「まじない」?
このブログのタイトルの【呪い】はどちらに取れるんだろう。
それとももっと他の何かなのだろうか。自分は他人の気持ちをちゃんとしっかり理解することなんてできないからわからないけど。
いつかきっとこの「呪い」から逃れることができたのならそれはきっと大きな進歩なのではないかなと思う。
目つきも悪くて、態度も悪くて、うるさくて落ち着きのない。あんまり人に好かれるようなタイプじゃないけど。何番目かでいいから心から愛してください。
もし、嫌いになったら嫌いと言って欲しい。自分はとても弱いから自分から手を離すことがきっと出来ないから。
でも、2人から手を離して欲しいと言われたら自分はきっと素直に手を離すことができると思うから。
でも忘れないでほしいのは、私にとっての宝物はぷんちゃんと青野さんの2人だしもうそれを失いたくはないということ。傷つけたくはないということ。
太陽と月の光のように。2人は私の歩く道を照らしてくれるから。
だから。これからも。
こんな私のわがままなお願い。
【追記】
夢を叶えた貴方はとても輝いて見えて。
運命なんてないと思ってたけど、私がこの景色を見るのは運命だったんだと思いました。
どんな時もあなたが輝いていれば私はきっとこれからも【生きよう】と思えるのかもしれません。
重たいことを言うかもしれませんが、これからも私の生きる理由でいてください。
どんな私も好きじゃなくていいよ。嫌いな私は嫌いでいいよ。青野さんの好きな私に絶対になるから。
まだ恥ずかしくてあんまり好きを伝えられてないけど。これから先素直に好きを、大好きを伝えられたらいいな。
青野さん。私も同じ気持ちだよ。
これから先も、ずっと。ずっと。一緒。
わがままで自分勝手な自分を許して欲しいとは言わない。青野さんの前ではもっと素直に話せるようになりたいね。
私が私を愛せるように。
そして
私が私としてこれからも生きられるように。
これもきっと。【呪い】なんだろうね。うん。
僕の目の前にいる門番と、君の後ろにいた門番
生死に関する話も、自分の病気の話も全然してるので体調悪なったら戻ってください。
私は時折、目の前にいる門番のような怖い顔をした自分に睨まれている感覚に襲われる。その時は必ず自分が幸せだと感じている。
門番は「お前の幸せは未来の私の不幸だ」とそう言って指を指して睨んでいる。
自分は、幸せになる資格がないとずっと思っている。
それは、昔自分の幸せを貪る為に他人の幸せを踏みつけて不幸にしてきたと思っているからだ。
自分は生まれながらにして最低な人間として生まれてしまった。自分勝手に生き、他人を踏みつけてきた。自分を守るために嘘を吐き他人を貶めるために言葉を紡いだ。今思い返せば、幼いという言い訳だけでは収まらない最低の行為だと思う。
自分の目の前に門番が現れたのは、2年前だった。
3年ほど前に心の病気になり仕事を辞めた私は家に引きこもる生活が始まっていた。めせもあ。の現場に行くことだけが外の世界との繋がりを持たせてくれた。
めせもあ。の武道館が決まった時自分の事のように幸せだった。久しぶりに幸せなんだという気持ちになった。
でもその数日後に自分の心がズタズタに引き裂かれるようなことが起きた。暗い部屋の中で小さく膝を抱えていた自分は「お前のせいで不幸になった」と睨んでくる門番のような自分にこの時初めて出会った。
ずっと前から。門番のような自分は心の中にいたのかもしれない。でも自分は、そんな自分から目を背けてずっとずるく生きていたんだと思う。
今でもふと前を見つめると暗い暗い薄暗い未来から門番のような怖い自分がこっちを見つめている。自分はいつの間にか前を向いて歩くのがとても怖くなった。
いつだって足元を見つめて、背中を丸めて歩くことしか出来ない。
いつしか、現場に行くことに申し訳なさを感じるようになった。幸せになる資格がなく、不幸でなければならないと思い感じる自分は、自分のことを幸せにしようとしてくれる2人に申し訳ないことをしているのではないかと毎日のように苦しくなった。でもその苦しさに蹲る度に未来の自分が、門番のような自分が安心したように笑っているのだ。ああ。これで良かったんだ。これが自分なんだと改めて思った。
この感覚が気持ち悪いと、それでいて安心する感情なのだとしたら自分は現場に行くことを辞めるべきだと思う。それでもふと気がつけば現場に足を向けていた。
自分の不幸に蹲るために。最低だ。何度もそう思った。
自分はずっと、薄暗く冷たい道を歩いている。
そんな中で気まぐれプリンスと言う、ぷんちゃんと言う存在は自分の太陽のようなものだった。薄暗い道を照らし導いてくれる光。
会えば絶対に、自分が怖がっていようと幸せにしてくれる。そんな確約を渡してくる。そんな人だった。
自分は、不幸になることへの息苦しさに薄暗さに耐えられなくなった時。どうしようもなくなってぷんちゃんと言う光に、温かさに、幸せに手を伸ばしてしまう。絶対に手に入ることの無い光と幸せに当てられてもっと苦しくなる。
どうして自分は素直に幸せになりたいと思えないのだろう。彼が渡してくれる幸せを抱きしめて眠ることが出来ないのだろう。それは全部過去の自分のせいだ。そう分かっていても受け入れることが出来なかった。
めせもあ。の現場に行くたびに、ぷんちゃんの光に照らされる度に色濃く門番のような自分が浮かび上がって。酷く醜く睨んでくる。幸せになることを否定して不幸になりたくないと言っているのだ。自分の幸せがそのままはね返って未来の自分の不幸になるなんてそんなこと思いたくなかった。嘘だって言って欲しいんだ。
不幸になりたくないと、普通に生きていきたいと。そう願う門番が、自分の不幸を1番望んでいるんだ。
自分は、かれこれ現場に戻ってきた2年前から涙を流すようなことはなかった。めせもあの武道館が決まった日、武道館当日、横アリ決定、横アリ当日、メンバー4人の卒業式。全てのタイミングで泣くことは無かった。
泣けるような、そんな人間でなかったからだと思っていた。でもそんなことは無かった。めせもあ。5人での初めてのツアー「give me FIVE」自分にとって初参加だった仙台1日目。ありえないくらい泣いたんだ。
もう終わってるから言うけど、のざとみくその「ニホンノミカタ」で泣いてるからほんとに意味がわからなかった。
5人がお互いに目を合わせる度、ツアータイトルのようにハイタッチを交わす度、楽しそうに笑ってライブをするたびに胸の奥が苦しくなって涙が止まらなかった。
今までに感じたことの無い、大きな幸せだったんだ。
抗う暇など与えないくらいの大きな幸せに包まれて、そして胸がいっぱいになって泣いた。そんな日だった。
ふと気がつくと幸せを願う自分と、不幸を願う自分が自分の中で乖離していくのを感じた。ふと幸せそうに笑う自分をなんでか他人事のように見つめられるようになった。それが今の自分の誕生だった。
幸せになる資格なんてないでも幸せになりたい、でも不幸でいないといけない。
並ぶはずの無いふたつの感情は全て。【私】であり、【僕】であり、【自分】であり【ちべたか】であった。
幸せになりたい、そんな感情を全て【ちべたか】に押付けて、わがままを言いたい気持ちを全て【僕】に押付けて、不幸にならないといけない感情を【私】に押付けて、そうして残った何も無い虚無を【自分】に押付けたんだ。
でも、それは結局不幸にならなければいけない自分に対しての答えにはならず。幸せになった自分を門番のような自分はずっと睨んでいるし結局幸せになった自分は必ず不幸になるんだ。
自分を取り繕うために声のトーンを上げて笑顔を見せる。自分がされたいように人に優しくする。
死にたくならないように心にセメントを塗る。
ガチガチになった心は時折息苦しさを纏いながら、私にのしかかってくる。
「ありがとうございます。」「ありがとうございました。」
「お願いします。」
その言葉を絶対に忘れないようにする。笑顔を向けてその言葉を言えるように。
殺して欲しいと願わないように自分で自分の首を絞める。
言葉が絞まった喉に張り付いてつっかえる。何も出てこない。
人を不快にさせないように。ニコニコと黙って笑う。
マイナスな言葉を言わないように。湧き上がる黒い言葉を飲み込む。
そんな風に現場にいる、理想の自分になりたいから。そうやって生きたいから。そう願いながらこれからも私は笑う。自分のわがままが滲まないように。
現場にいる自分はなにか無理をしているのでは無く、自分がそうありたい理想の自分なだけであって。結局何も変わらない自分でしかない。
どうして自分がこんな話をブログに残そうとしたのか、こんな話をしたのか。少し前に遡るけど青野さんと門番の話をしたからだ。
ReLIT3周年の日に自分は運のいいことに推しチェキを引くことが出来た。その日は幸運が重なったのか座席も最前列の真ん中でどうしたものかと思った。
(その代わりと言ってはなんだけど、行きにバスで定期を落としている。ちゃんとちょっと不幸だ)
これほどの幸福が待ち受けていた時、自分はその未来の自分が怖かったんだ。
そんな話を、なぜか、どうしてか、青野さんにしてしまったんだ。
こんな自分の話は、自分が死ぬまで自分の中に閉じ込めて燃やして、潰して、殺して、消し去るはずだったのに。口からこぼれてしまった言葉はある程度の外枠を話してしまったんだ。
自分は青野さんのことを推しにすると決めた時少しだけ。ほんの少しだけ。怖い気持ちと、緩やかな期待があった。
よく自分は「青野さんと長く話すことに慣れていない」という事を本人にも、周りにも話している。
理由を聞かれた時、間違ってはいないが「顔が好きすぎてメロってしまう」と答えているが実際は「いつか自分の薄暗い内側を、狡い内面を、わがままで自分勝手で何も無い虚空で虚無な【自分】を見透かされてしまうような気がする」からだ。
緩やかな期待は、そんな自分をわかってくれるような。理解してくれるような。認めてくれるようなそんな気がした。
普通の人ではありもしないこんな感覚を、こんな考えを認めて。そして壊れ物を持つように拾い上げてくれると。
でも毎度毎度湧き出るそんな緩やかな期待は、湧き上がる度に踏み潰して。口から出ないように押し込んで。薄暗い心の中にしまっておくんだ。
だってその期待は相手を不幸にする、わがままで傲慢で自分勝手な願いなのだから。
青野さんのカフェ出勤が終わった日から、色んな理由があって青野さんに会うのがとても怖くなった事がある。
ちゃんと笑えるのか、自分のグチャグチャな感情を潰して会う事ができるのか。全然わからないまま大メロ、DDPを迎えることとなった。答えは全然No。
点数つけるなら5点の特典会で、この時は嫌悪感ばかりになった。こん時の自分が死ぬほど憎いし、今ですらこの時の気持ちの片づけはできていない。
言いたい言葉は全部喉に張り付いて、手売りの時の邪魔な机を乗り越える話しかできてない。本当に意味がわからない。何を言えばいいのかわからなくなった時意味わかんない言葉で乗り切ろうとするのはやめた方がいいと思う。
推しチェキの途中何度も言葉に詰まって、何も言えなくなることがあった。無言の時間が流れる度に心が焦ってどんどん不安になる。その度に何か言いたいのに自分の薄暗い内面を、何も見られちゃいけないからと言葉を喉奥に押し込んだ。
それなのに押し出すように振り絞るように出た言葉は、
「今日と言う日が、幸せすぎて。未来の自分に睨まれてしまうような気がする。お前が幸せだから自分が不幸なんだって」
自分が1番口にしたくなかった言葉だった。
落書きをしていて、落ちていた青野さんの目線が持ち上がって【僕】の方を見た。相変わらず何かを見透かされそうで【私】は視線を誰もいない階段の方へ逸らした。
「もしかして門番いるタイプ?」
私はずっと、ずっと聞きたかった。青野さんの門番は今もいるの?って。でもずっと聞けなかった。その答えがあの瞬間に少しずつだけど見えたような気がする。
「うん。目の前に。」
この言葉を返した時、自分はどんな顔をしていたっけ。
青野さんはどんな顔をしていたんだろう。
口から出てしまった言葉を戻すことなんて出来なくて、ドンドンと後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになる。
「門番はねぇ。いないよ。」
私が1番聞きたかった言葉だった。門番がいる、そんな話をブログからすくい上げた時自分と重ねて思ったんだ。
門番なんて、いない方がいいと。
自分の幸せを、祝福できない門番なんて。
青野さんは、自分と違って門番とお別れが出来たんだ。門番を抱きしめて泣かせて、笑わせることが出来たんだ。よかったなぁと心底思った。
門番はいない、その言葉に自分はなんて返したか覚えていない。
でも青野さんが「どんなちべも大好きだよ」と言葉をくれたことは、それだけは明確に覚えている。都合のいいことだけが脳裏に焼き付くのは昔から変わらないと思った。
絶対に周年の推しチェキでする話ではなかったし、本当に申し訳ないことをした自覚しかなくどうやってこの先も生きていくべきなのかも少しもわかっていない。
そろそろこんな体調の悪くなるようなブログは終わりにしようと思うけど、勘違いしないで欲しいのは間違いなく自分は幸せになるために現場に行っているという事だ。幸せになる資格がないと思っているけど、幸せになって不幸という暗い場所に蹲るために。
その後にどんな不幸が待ち受けていようと自分は、自分を幸せにしようとしてくれている2人を裏切りたくはなかったし、間違いなく感謝している。
そして【ちべたか】も【私】も【僕】も【自分】も全部ひっくるめて【 ほんとうのわたし 】という人間で間違いない。
自分は今でも死ぬほど身勝手で自分勝手だと思う。
6年前の身勝手でわがままな自分からそんな簡単に変われるわけがないから。でも。
でもそうじゃないと、そうやって生きていないと、生きていけないような気がするんだ。
口癖のように言う【ぷんちゃんと青野さんの幸せが私の不幸の上に成り立つものだったらいいな】と言う言葉は今もずっと抱えている。
自分は不幸でいいから、神様お願い。2人だけはずっと幸せに生きていけるようにして。そんな風に思って生きてる。
病気になって、どうしても消えたかった死にたかった殺して欲しかった、そんな私をここまで生かしてくれている。そんな2人を自分は不幸にしたくない。これまでもこれからも。そうやって生きていくしかないんだ。
それが今まで人を不幸にして生きて来た最大の贖罪で。愛してくれる、幸せを渡してくれる2人への最大の答えだと思う。
自分が患った心の病気は自分の感覚だと一生治ることは無い。ずっと自分の隣にいて手を握ってくる。私はそれと上手く付き合っていかなければいけない。自分の感情にコントロールが効かなかった過去の自分と比べると、今の自分は幾分、穏やかになった気がする。
気に食わないことがあって、感情が高ぶってスマートフォンを投げつけて穴を開けてしまった襖も、全てを捨ててしまいたくて部屋中にばら撒かれたグッズも階段の上から落とした様々な思い出も頭を抱えながら大声を上げて泣き続けたあの日も。
全部全部この先、生きていく自分のひとつなんだ。
最後に。
今も私は、不幸の中に蹲って生きている。
その不幸が、不幸の中にいることが何よりも幸せだと思っているから。
でもいつか、いつの未来でもいい。いつだっていいから。
門番のような自分を抱きしめてあげられたらいいと思う。
門番のような自分が素直に泣けるように笑えるように、安心して私と言う人間を睨むことがないように。生きていくしかないと思う。
何度、生きることを辞めたくなっても。死にたくなっても。殺して欲しくなっても。
今はまだ、未来への道は薄暗いし前は向けないし背中を丸めながらじゃないと前に進めないけど。いつかきっと前を見て笑って歩けるようにそうやって生きていけるように。
ぷんちゃんと青野さん、2人がくれる幸せを抱きしめて眠れるように。
そんな風に生きたい。
僕は救われたと思いたかった。
※ブログタイトルと内容は全く関係ありません。
青野さんがDDステーションでおもしろ企画をしていたので自分もする!
っていう謎の強い気持ちでやってる。
1曲目
「未来とは、目の前の今そのものなんだ」
みんな「パラチェン」のこと平成最後のトンチキソングだと思ってませんか?
全然!違う!あなたたちそこに正座なさい!!!!!
私DD楽曲の中で「平成パラダイムチェンジ」がいちばん大好きなんですけど
その理由がこの部分だったりします。
未来って言葉で聞くとめちゃくちゃ遠くだと思っちゃうことが多くて
でも冷静になって考えてみたら、1分先だろうと10分先だろうと未来は未来だよね
って思って。
この曲1サビと2サビでも【未来】について歌っている部分があって
「未来なんて、当たり前のものだと思ってた」「未来なんて、見えないからこそ歩き出せる」この2か所では未来が遠くて見えないものだし、何も思わなくたって当たり前にやってくるって捉えていて、しかも「なんて」って言葉で紡がれているから少しだけ、「未来」というものを軽んじていたり、疑わしく思っている感じがするなぁって個人的には思ったりなんだり。「未来」なんて当たり前に来るもんだとか、「未来」なんて遠くて見えないものじゃないかって感じ。
それも全然そうだと思うし、当たり前なんだよね。
だってこの曲聞く前は自分だって、未来なんて遠いもんなぁだったもん。
「昭和」「平成」はずっと「未来」ってものに否定的で本当に来るのか疑わしいものだったのに、「令和」になったとたん「未来」を明るくとらえるんだよね。
「未来」って目の前の今そのものって気が付くから。今から歩くすぐ先は明るい「未来」なんだーって。目の前明るけりゃ否定的にもならんだろって。
MV見ると一目瞭然なのが、サビがずっと暗い場所だったのに最後に、明るくて未来的な衣装に変わっている所とかね。
勝手に「未来」を見すぎてる感はある。別に遠くもなければ目の前にあるね。って感じ
まとめるとさ。
否定的で軽んじていた「未来」が、自分の目の前のその出来事なんだってわかると
一気に明るくなるよねって話ですよ。なんかまとまんないな。え?
2曲目
New Sunshine-Mesemoa.
「妻と我が子(たからもの)にキスをして」
これマジでおしゃれ。妻と我が子へのルビをたからものにするセンスが大好き。
曲調も、歌詞もすべて含めてゲーム調なんだけど内容を見るとリアルな社会生活。
人生はマジで選択肢の連続だし、元に戻って選択しなおすことなんてできない。
この曲は1回でいいから歌詞カード見ながら聞いてほしい。
後はるか昔に白服さんが書いたブログと一緒に見るのもおすすめです。
これは個人の感想です。
不器用な男 (MeseMoa.白服) | MeseMoa.メンバーBLOG
話戻すんだけどさ自分は、相手もいないし子供も居ないんだけど。
きっと相手と自分の子供ってどう考えたって「たからもの」だよなって思った。
初めて歌詞見たとき驚いてひっくり返ってしまったもんな。
こんな言葉の使い方するんか!って僕感動した。これはマジで。
3曲目
銀河系クラシック-Mesemoa.
「今は苦しくとも、必ず誰か見ていて、次へと導いてくれる、そんな奇跡を
人は神様って呼ぶんだね。じゃあきっと君だね、君なんだね。」
ここ最近よく、神様って言葉をよく使うようになったんだけど。
理由の一つがこれな感じがしてる。
自分死ぬほど苦しい時があって。何もできないくらい。体調も悪いしさ、
そんな時に救われたのが、DDだしめせもあだしみたいなところあるから。
気分転換レベルでぷんちゃんに会いに行くのめっちゃ好きだった。
それだけが楽しみだったしね。
この歌詞がさ、いいなって思うのがお互いを思うことに繋がってきて。
アイドル側は、苦しい時も支えてくれたファンそれはきっと神様で君だったんだねだし
オタク側は、自分の苦しい時に救ってくれたアイドルはきっと神様で貴方達だったんだってなる。どっち側で思っても成立するんだよねぇって思ったりなんだり。
あと全然関係ないけど「大都会を星座にして」っていう語感が死ぬほど好き。
4曲目
ウェディングベルが鳴り響く-ReLIT
「僕の何がいいのだろう?君は
もう完璧じゃないってところが好きだよ。そのままでと笑ってくれた
独りよがり考えてた『普通』はどこにもない」
2サビ前から2サビの前半までをまとめて紹介するんですけど。
はじめてReLITの曲を真面目に聞いたのがめせもあ。の横浜アリーナだったんですけど
その時にめちゃくちゃいい歌詞だなって思ったのがこの部分だったりします。
人を好きになったとき自分もよく考えちゃう。この人ってあなたって
私の何がそんなに好きなんだろうって。自分は自尊心ってものをめちゃくちゃにされて
しまったことがあって自分のことを全く受け入れられていません。
でも好きな人って、大切な人って、自分に完璧を求めているわけじゃないんだなって。
好きな人の前だとかっこつけたいし、完璧でいたいし、失敗なんて見せたくないと思っちゃうことたくさんあると思うんだけどその人が好きになってくれた自分って、そのままの、ありのままの自分なんだなっていま改めて考えたらそんな気がしました。
自分の考えていた普通ってもしかしたら他の人からしたら普通じゃないし、自分が普通だと思っていなかったことが他の人にとっての普通ってあるじゃん。
周りの普通っていうのを押し返して考えてた自分の中の普通は、そのままでいいって言われた瞬間からなくなっちゃうもんなんだよね。
青野さんから正解って言われたから追記するんだねどサビ頭の「もう」相手がそんな当たり前のこと聞かないでって呆れてる感じの「もう」で凄い好きって話したらその「もう」で正解だった。まぁ当たり前にそうやんなって感じ
めせもあ。以外全く興味なくて歌詞もわからんしあの人たち誰なんかもわからん。
めちゃくちゃ失礼なこと考えながら横アリでこの曲聞いたの今でも忘れんし、
下見ながら聞いてたのに、この歌詞のこの部分の時にびっくりして顔を上げたのも覚えてる。
あの時の自分へ今その歌詞を書いた人も推してるぞ。
5曲目
解けない魔法-ReLIT
「止まぬ願い 希望 闇は光を示し」
これもまだあんまりReLITのこと知らなかったときにTikTokで多分発売記念フリラの推しカメラかなんかが流れてきたときに「いい曲だな」って聞いてた記憶がある。
3月にあったパワラでちゃんと聞いたんだけどめちゃいい曲ってなった。
なんでこの歌詞を選んだのかっていうと願いとか希望とか前向きなものが光を示すことって結構当たり前だよなって思うことが多くてその中に『闇』も光を示すものって歌うのめちゃくちゃおしゃれって思った。
これも追記
ここの歌割りひびきくんなの大当たりだろ。
この曲聞けば聞くほど考えること多くて選んでない箇所の歌詞とかもめちゃくちゃ好き。みんなも聞いて頭抱えながら考えてほしいくらいです。
特にここで話しませんが「言い逃れできない自分の声にやってやるさと強く言い返す」ってところ絶対みんな好きだろ?(ドデカ主語)
後めちゃくちゃ自分の話なんですけど「当たり前は特別となり 明日がくる確証も失った」ってとこ歌ってる青野さんが世界一好きです。
歌詞の話オン特でするぞって思った時に、ReLITの曲どの曲紹介しようかなって考えたときに青野さん作詞の曲選ぶのちょっとだけ緊張したというかどうしようって思った。
解釈違ったら嫌だし変な解釈するの失礼だよなって。でもなんか勇気出して選んでみてよかったかもって少しだけ思ってる。自分はこんなこと考えてるんだって言えた気がするから。
自分はどちらかというと歌詞と音のバランスで曲を好きになることが多いから
ここに出してない曲もめちゃくちゃ好きだよ。
自分の思っていることを形にするのは楽しいなぁってちょっと思いました。
また何か話したいことあったらブログ書きます。