10/14に合ったことに対してのアンサーブログみたいなもの。
その日に何も言葉を出せなかったから。
また書き上げるのに1ヶ月以上もかかってしまった。悔しすぎる。
例にも漏れず今回のブログも結構暗めなので気を付けて下さい。
2024.11.25 追記
自分は。とてもじゃないけど、強い人間ではなくてすぐに消えたいと思ってしまうような弱くて、それでいてずるい人間だと思う。
1つ前のブログ。あげたことを後悔している部分と、身勝手に自分のことを話、周りに押付けて満足した気持ちのふたつの気持ちがあった。結局、自分は身勝手なんだ。やっぱりそうやってじゃないと生きていけないんだと思った。
あのブログをあげる話を青野さんにもしていた。火曜日のDDステーションの特典会の時だ。
「前にさ〜門番の話したじゃんそのブログ書いてるの〜」
相変わらずそれに対する返事を覚えていない。多分これも怖かったんだと思う。身勝手な自分の言葉だから。
ループして戻る頃にはブログも書き終わっていて、誤字とかがないかの読み返しをしていた。自分で書いたブログなのに内容が重くて暗くて辛くて体調が悪くなった。
その時の青野さんの会話で唯一覚えていたのが
「それがええんやないの」って事だけ。こんなわがまま言うのはよくないのは分かってたけど私は「完成したら見せるね!」と言った。
DDステーションの日の私はいつもよりわがままで、いつもより青野さんに質問してた気がする。青野さんは私の質問にちょっと考えながら、でもそれでいてふわふわと笑いながら答えてくれた。青野さんを少し知れた気がして嬉しかった。青野さんのことはたくさん知りたいのに、自分のことはいつまでも教えない。自分勝手だなぁと思った。
DDステーションが終わったあとブログをどうするかの処遇だけ考えていた。今のままでも自分は十分だと思ったけど、青野さんがもしかしたら冗談とかお世辞とかでもなく本当に読んでくれるのなら。いつも押し潰す緩やかな期待がグングンと湧き上がって、2000文字程度追記をした。もうこの時点で当初書いたものとは別物になった気がする。完成したのは金曜日で丸1日かけて青野さんに送るのか送らないのか考えて馬鹿みたいな朝にブログを送った。
その日1日ずっと緊張してブログのインプレッションを覗いて、数字が増える度に震えるほど不安になった。
どうして土曜日に送ったのか理由は、次会う時に見られてなくても傷つかないようにだった。私はわがままだから、見て欲しかったし感想が欲しかった。でもそれを無理強いしてはいけないしそれでいて、薄暗い部分を、内側の柔らかい部分を全部さらけ出してしまうから。その部分に触られるのがとっても怖かったんだと思う。生誕の時にお手紙を初めて書いて、カフェ出勤の時に「読んだよ」って言われた時同じ感覚だった。柔らかい薄暗い部分に触られた気がして少しだけ苦しかった。自分で手紙を書いた癖に。本当に最悪で自分勝手だ。
自分の中の誤算は、そういえばTikTok撮影会の参加券2枚も持ってた。と言うことだ。青野さんと直接話して、何も無かったと安心する前に青野さんと会わなきゃいけなかった。14日という日はいつも以上に青野さんと会うことに緊張していた。
無事?にTikTok撮影会を終えてお昼を食べながら漠然と、ブログを読んだかどうか聞くのはそれこそ負担になってしまうから自分からブログの話をするのは絶対にやめよう。という考えが浮かんだ。別に今日読まれてない方がいいから土曜の撮影会前に送ったんだ。そうだそうしよう。今日はとりあえず1枚で様子を見て、撮影会に行けばいいんだ。そう思って手売りの時間に会場に戻った。
まとめて2枚買えることなんて知らなかったから7000円しか用意してなくて1枚ループしたくないのになぁと思いながら、チケットを買って列に並んだ。でもこの選択が地味に正解だったことにこの後気付かされる。
早い時間から列に並んでたからだいぶ早い段階で青野さんとお話することが出来た。いつもみたいにふわふわ笑いながら私の名前を呼んだ。私も言葉を返すといつもの決まりみたいにお互いにワンテンポ置いてから喋り出す。自分は、自分から話をするのが苦手だからいつも話出しは向こうにおまかせすることが多い。その日もそのつもりだった。そうしたら青野さんがほんとうに、ほんとうに世界でいちばん優しい顔で笑って「ブログ読んだよ」と話し出した。
一瞬で周りの空気が冷えて、呼吸が止まった。心臓がありえないくらいバクバクと音を立てて鳴り続けて頭の中では警報音が鳴る。咄嗟に逃げないといけないとそう思った。言葉にならない声が喉に張り付いて気持ち悪かった。何も準備のできていない自分はどうしようもなく焦って。心では逃げたかったのに、緊張して棒のようになった足では逃げることなんて出来なくて、振り絞るように「心の準備ができてないから。次もう1回来るからその時にして」と青野さんが続けようとした言葉を止めた。
とてもわがままだと思ったけど、心の準備ができてないまま青野さんからその話を聞いたら立ってられないし、泣いてしまうと思ったから。
2枚まとめて買ってなくてよかったとその時思った。読んで欲しい、感想が欲しいなんて強欲なことを考えていたのに、いざ目の前にするとこんな風になってしまうなんて、自分がいかに弱くて自分勝手なのかをまざまざと見せつけられた気がした。
その後の会話もほとんど身が入ってなくて、ずっと心臓が痛かった。青野さんから机を乗り越える話をされたりおすすめの曲は聞いた〜?って話をしたりしたけど次に待ち受けてるブログの話が怖くて怖くて仕方なかった。
本当は1回トイレに逃げたかったし、できることなら行くって言ったけど帰りたかった。とても泣きたかった。自分が薄暗くて卑怯で、弱くて、いつも見せてる明るい自分が嘘の自分だとバレてしまった気がして。そんな自分が最低な人間だと知られてしまったと思ったから。何度も言うけど自分が見せることを決めたのに、とても自分勝手だ。
でも青野さんともう1回行くって約束したから、嘘をつきたくなかったから。終わって直ぐに手売りチケット買い足して列に並んだ。
ゆっくりと自分の順番が近づくにつれて立っているのがやっとになった。足が小さく震えだして、呼吸が浅くなる。チケットを持つ手が小さく震えてどうしようもなくなっていく。追い詰められていく感覚になった。
次が自分の番になった時目に見えて手が震えてしまった。こんな姿なんか見られたくないからチケットを持っていない方の手で震える手を押さえ込んだ。焦って浅くなる呼吸はできるだけ大きく吸い込んで落ち着かせる。
目の前の人が居なくなっていざ自分の番。やっぱり青野さんは、世界でいちばん優しい顔で笑っていた。震えていた手が止まって呼吸も随分と楽になった。魔法みたいだと思った。
今でも。あの時のことを思い出すと胸がいっぱいになって涙が出る。青野さんが選んでくれた言葉も不安になって見上げた時優しく笑ってくれた顔も全部全部鮮明に覚えているんだ。いつも不安がってモヤがかかって覚えていないのに。
このブログで私が青野さんから受け取った言葉を事細かに、鮮明に書くことは無いし他の媒体でもみんなに見せるように書くことは無い。
あの日くれた言葉は全部私の宝物で、そして私が少しだけ前を向こうと思えたそんなきっかけだから。
1つ前の時、私は前を向くのが怖いと言った。門番みたいな自分が怖い顔で睨んでくるから。でもあの日、あの日だけは少し前を見て歩けたんだ。
前を見て歩いた時、目に入った門番みたいな自分は酷く辛そうな顔をしていた。悲しそうな顔をしていた。
ごめんね。私だけ幸せになって。ごめんね。あなたを置いていこうとして。ごめんね。あなたを絶対に不幸にはしないから。
だからもう少しだけもう少しだけ。青野さんがくれた優しい光の中で歩かせて欲しいと思った。
青野さんは私にとある約束をしてくれた。私が門番を抱きしめることが出来るまで、私が幸せな光の中で蹲ることができるまで。ずっとずっとアイドルとして幸せに生きてくれると。
私にとってその言葉がこれから歩く道を示す道標のように感じた。
それは、いつになるか分からない。自分は自分を許せないし、早く消えてしまえばいいという思いはずっと消えはしないし不幸という薄暗い場所は今も心地いいから。
それと同時に私が幸せになるまで、アイドルとして幸せに生きるという言葉が、青野さんを縛る大きな鎖になってしまわないか、そんな風に思った。
幸せという言葉は、その言葉の明るさは時に全てを奪ってしまう縛ってしまうと思うことがある。
そして言葉は、【呪い】のようなものだとも思っている。まじないも、のろいも。同じ字を書いてそっくりな見た目をしている。でも中身を開けてみると全く違う言葉のように見える。
でも、どちらにせよ縛り付けるものなのだと思う。自分が語る幸せという言葉は【まじない】なのかそれとも【のろい】なのか。
それは私から【呪い】という言葉を受け取って中身を切り開いた本人にしか分からない。
最近。こうやって思ったことを文字に書き起こすことを楽しいと思っている。これもひとえに青野さんから文章能力を褒められたことに繋がってくるのかもしれない。
5年前くらいは毎日のように物書きをしてはあーでもない。こーでもないって頭を抱えて、本を作るって決めて小さな作品の締切に間に合わずモンスターとレッドブルを混ぜた魔改造眠気覚ましを飲みながら毎日徹夜をしていたことを思い出す。
もうあんなことする体力なんて残ってないし、二度とできないことだと思っている。
でも最近また、何か物書きがしたいなって言う漠然とした気持ちが湧き上がってきて青野さんに結末の大筋を決めてもらって、1作、作品を書き始めている。
この物語がどう結末するかは分からないけどやっぱり何かを作り出す、という事は楽しい。
昔書いた物を読み返してわかる。昔からハッピーエンドは好きじゃないんだなと。どうしても道の途中に不幸が落ちているし、結末も手放しにハッピーエンドとは言えない。
いままで描いた物語全部拾っても自分みたいでとてもじゃないけど嫌になってくる。
さっきした「呪い」という言葉の話をもう少しだけしてもいいだろうか。
厳密に言うと「呪い」という言葉の話と言うよりも、言葉という物が持つ鎖のような物の話と言ってもいいのかもしれない。
自分を含めた人間は、言葉という大きな力に勝つことができないと言う気持ちを持っている。
言葉というものは時に雄弁で、素晴らしいものだと思うと同時に、卑怯でそれでいて薄暗いものだと思っている。
人を幸せにするのも言葉の力だと思うし、人を不幸にするのも言葉の力だと思っている。そう。言葉にはそんな力があると思っている。
それは等しく自分に降り注いで、自分を苦しめてきた。自分の行動と努力が、他人の評価する結果と同じになることは絶対にないと思っている。
どれだけ頑張っても、他人に頑張っていないといわれてしまったら、他人に評価されなかったらそれは頑張っていないと同じ事になるんだ。
頑張るということは一種の自己満足と言ってもいいのではないのだろうか。どれだけ頑張っても、他人にはその頑張りは見えはしないし結果でしかそれを証明できない。
ここでも、自分が他人の言葉に縛られていることがよくわかる。
昔からずっと「頑張れ」という言葉に縛られて生きているような気がする。
だって頑張って生きていないと、すぐに死にたくなってしまうから。
自分の死にたいは、ずっと生きていることの隣にいる。自分の手を握ってくる。欲を持っていきたいと思えば思うだけどんどんと死にたくなる。
今すぐにでも消えてしまいたいと、そう思うようになる。
「頑張れ」と言われるたびに、自分は「頑張って」なくて「頑張れて」なくてどうしようもない人間なんだとそういう風に思ってしまう。
「頑張れ」という言葉は「呪い」だ。自分のことを縛り付けて蝕む。そんな言葉だと思う。
他人がなんのけなしに言うそんな言葉に対して、自分は大きな拒否反応を起こしてしまう。
人を勇気づける言葉のはずなのに、その言葉は自分を追い込んでいくんだ。
「死なないでほしい」なんて言わないでほしい。もっともっと死にたくなってしまうから。
「生きてほしい」なんて言わないでほしい。自分はその期待に応えることができず苦しくなってしまうから。
お願いだから自分に何も望まないでほしい。自分はそれに答えることができないから。
こうやって、他人の言葉をすべて押しのけて自分の気持ちだけ押し付ける。自分は最低な人間だし。そうやってじゃないと人間として生きてなんていけない。
自分は人生の主人公になることはできない。ヒロインにも二番手にすらなることができない。
誰かの、どこかの村で生き続けるNPCにしかなれない。顔もない、同じ言葉しかしゃべれないモブにしかなることができないのだ。
自分が誰かにとって、優先されることはないし特別にだってなれない。自分もそれを望まない。望まないというか最初から特別になることはできないんだと諦めてしまっているのかもしれない。
だって自分の幸せが、誰かの不幸の上に成り立つものなのだとしたら、こんなにも苦しいことはないからだ。
今を生きる自分の人生こそ、主人公だろと言われたらそうなのかもしれないけど、もしもその物語の主人公が自分なのだとしたらその物語はあまりに不幸だ。バットエンドだ。
どんな分岐を選んだとしても、その物語の結末は不幸でしかないんだ。
自分は嫌にわがままだから、自分に優しくしてほしいけど優しくしてほしくない。
自分を大事に思ってほしいけど、大事にしてほしくない。
自分を特別に思ってほしいけど、特別だなんて思わなくていいと思っている。
自分の気持ちはいつだって正反対に向かって生きている。
自分のわがままな気持ちと、素直な気持ちはいつだって反発しあって、自分自身を苦しめているんだ。
自分は酷い人間だから、優しくされて心の内側の柔らかい部分を見せられると、それを踏みつぶしてもなお、自分に優しくしてくれるのだろうかと試したくなってしまう。
そうして踏みつぶしてきて、離れていく人間を恨めしそうな目で見てしまう。全部全部自分が悪いのに。
そんな酷い、最悪な過去の自分は今の自分にとって切っても切り離せない存在になっている。そんな最低なことをしたくないから、全部全部内側にしまい込むけど、時々そんな酷い顔をした自分が酷いことを言いそうになる。その度に口を噤んで小さく縮こまるんだ。最悪な顔をした過去の自分と、醜く自分を睨んでくる未来の自分に、今の自分は挟まれているんだ。
今の自分は、どんな自分なんだろうと時々思ってしまう。そうやって考えた時に今の自分は噓の自分でしかない気がする。仮面を被らずに自分として話したことはあるだろうか。
嘘の鎧で身を固めた状態ではないそんな自分で歩けているだろうか。そう考えた時にいかに自分はちっぽけで虚無で虚空な寂しい人間なんだと実感する。
嫌われることが怖くて、1人になるのは怖くて、でも自分の思った気持ちに嘘をつきたくなくて。あなたたちに伝える「大好き」という言葉を希薄にしたくなくて。
でも自分はそれに対してどうしたらいいのかわからない。
嫌われたくなくてした行動が、いつの間にか相手を傷つけてしまっている。
自分に優しくしてくれたことに付け込んで、自分だけ気持ちよくなる。
そんなの間違っているのに、やめることができないんだ。そうやって自分の過ちに気付いて自分自身を嫌いになっていく。
自分のことを好きだと思っている人に、なんで。どうして。自分のことが好きなんだろうと聞きたくなる時がある。
だってきっと聞かないとみんな教えてなんかくれないから。でも自分は弱虫だからそれを聞くのすら怖い。
だってその人が話す自分の好きな部分が、嘘で固められた自分のようで自分じゃない自分だったら。もうそれは自分ではない別の人が好きなんじゃないかと思ってしまうから。
傷ついてしまうから。そうやって傷つきたくないから自分はすべての物事に背中を向けているんだ。自分は自分を1番に守りたいから。
こんなことを書いているし思っているけど、自分はやっぱり愛されたいんだと思う。満たされたいんだと思う。
ずっと、ずっと空っぽだったから。虚無で虚空で何もない自分だったから。
だから今の、ぷんちゃんと青野さんに愛されているこの時間と空間が愛おしいんだと思う。大切なんだと思う。これ以上にない宝物なんだと思う。
でもすぐに不安になるから、これは愛されているのだろうかと不安になる。そんな不安になること自体間違っているのに。
今は「呪い」のように大丈夫という言葉を繰り返している。大丈夫大丈夫。不安になる必要なんてないんだと。
きっとこの先もずっと言いたい言葉は喉に張り付いてしまって時折こうやってブログにしないと心の中に溜まって自分がダメになってしまうような気がする。
最後に。
これを受け取ったあなたにとって言葉って何だろう。自分を縛り蝕む「のろい」?それとも自分を支えて導く「まじない」?
このブログのタイトルの【呪い】はどちらに取れるんだろう。
それとももっと他の何かなのだろうか。自分は他人の気持ちをちゃんとしっかり理解することなんてできないからわからないけど。
いつかきっとこの「呪い」から逃れることができたのならそれはきっと大きな進歩なのではないかなと思う。
目つきも悪くて、態度も悪くて、うるさくて落ち着きのない。あんまり人に好かれるようなタイプじゃないけど。何番目かでいいから心から愛してください。
もし、嫌いになったら嫌いと言って欲しい。自分はとても弱いから自分から手を離すことがきっと出来ないから。
でも、2人から手を離して欲しいと言われたら自分はきっと素直に手を離すことができると思うから。
でも忘れないでほしいのは、私にとっての宝物はぷんちゃんと青野さんの2人だしもうそれを失いたくはないということ。傷つけたくはないということ。
太陽と月の光のように。2人は私の歩く道を照らしてくれるから。
だから。これからも。
こんな私のわがままなお願い。
【追記】
夢を叶えた貴方はとても輝いて見えて。
運命なんてないと思ってたけど、私がこの景色を見るのは運命だったんだと思いました。
どんな時もあなたが輝いていれば私はきっとこれからも【生きよう】と思えるのかもしれません。
重たいことを言うかもしれませんが、これからも私の生きる理由でいてください。
どんな私も好きじゃなくていいよ。嫌いな私は嫌いでいいよ。青野さんの好きな私に絶対になるから。
まだ恥ずかしくてあんまり好きを伝えられてないけど。これから先素直に好きを、大好きを伝えられたらいいな。
青野さん。私も同じ気持ちだよ。
これから先も、ずっと。ずっと。一緒。
わがままで自分勝手な自分を許して欲しいとは言わない。青野さんの前ではもっと素直に話せるようになりたいね。
私が私を愛せるように。
そして
私が私としてこれからも生きられるように。
これもきっと。【呪い】なんだろうね。うん。